8月9日 長崎。75回目の、原爆被爆者慰霊・平和祈念式典がありました。生まれ故郷を離れて、はや半世紀になる身では、毎年この日、11時2分に合わせて西の方を向いて、頭を垂れて黙とうするのが恒例になりました。
今年はコロナの影響で10分の1の規模だとか。それでも、テレビに大写しされる平和祈念像の筋骨隆々にして、慈愛に満ちた雄姿に惚れ惚れとするのはいつものことです。そして、遠い昔のことが甦るのもこのときです。広島の原爆ドームと長崎のこの像に込められた思いには、すこしばかり違いがあると教わったことがあります。
広島の原爆ドームは、無残に破壊された被爆の惨状を後世に伝えることで戦争の愚かさを知らしめ、核兵器廃絶を全世界に訴える。
長崎の平和祈念像は、犠牲となった多くの御霊の冥福を祈り、新しい明日へ向かって平和の道を歩むことを誓う。とされています。
俗に「怒りの広島」、「祈りの長崎」といわれる所以でしょう。また、式典のなかで児童や学生が合唱する曲目の歌詞からもそのことはうかがい知ることができます。
長崎の鐘
こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
なぐさめ はげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る
原爆を許すまじ
ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
みたび許すまじ原爆を われらの街に
いずれにしても、戦争をなくし平和を希求する心には変わりないことです。
さて、平和祈念像には、わたしも、深~い思い入れがあるのです。
次回からそのことにふれてみましょう。 令和2年8月9日 多