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さて、回を重ねてきたこのコーナー、もとは、「卓球をはじめたきっかけは」との問いかけ
に応えようと書き始めたのです。書いているうちに、むか~しのことが次々と蘇って、ついつ
い余計なことまで披露したようです。卓球をはじめたきっかけについては、そろそろおしまい
ということに。前回のOBとのかかわりについて、かいつまんで書いて最終稿としましょう。
三年生になった美少年は、国立大学の工学部を受験します。(数学が得意科目でした)自分で
も自信満々、まわりもからも大丈夫と言われていました。それなのに、ああ、それなのに不
合格。(英語がさっぱりでした)。私立大学では、学費や生活費もたいへん。そんなに余裕があ
る家ではないのです。落ち込んだり、悩んだりしているとき、声をかけてくれたのが、この
OBです。
~おれの大学に入れ。なあに、お金はバイトをすればなんとかなる。親によくはなしてみろ~
この言葉で、親にうんと言わせてOBと同じ大学に進学することになります。選んだ学部は、
思うところがあって、工学系ではなく、文学部哲学科で社会学を専攻します。
上京しての第一夜、OBの下宿で歓迎会をしてくれました。これがもう、びっくりするやら
どきどきするやらの忘れられない一夜でした。(この話はいずれまた)
次にお世話になったのは4年後の就職のときです。OBが勤める会社の募集要項を詳しく教え
てくれました。とくに、面接の際のコツを教わったのが大いに役にたちました。こうしてOB
と同じ会社に就職することができたのです。
在のOBです。振り返ってみれば、青春のときに卓球部を選び、いい人たちに巡りあった幸せ
者だと思わずにはいられません。
ただ、悲しいことに、このOBは、まだ若い40歳のときに白血病で逝ってしまいました。
被爆者だったのです。ピカドンにやられたことのようです。恩返しもできず、お別れにも立ち
会えなかったことが、美少年にとっては、いつまでも悔いの残ることです。
1. 無題