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長崎のクルーズ船集団感染に思う
コロナウイルスの脅威が止まりません。日々更新される情報から素人目にも、安心できる
日がくるのは、まだまだ先だとわかります。東京や大阪など人の多い都市は、たいへん、た
いへん。岡山でも一人またひとりと、少しづつではありますが‥。
それに最近、長崎でクルーズ船の集団感染のことが大きく報道されています。その造船所
というのは、健卓兄が通った中学校と隣り合わせの場所にあるのです。学校のグラウンドと
造船所は金網のフェンスで仕切られていました。野球のボールがフェンスを越えたときには、
守衛さんに頭を下げて拾いに行ったものです。当時、この造船所では、世界中の大型タンカ
ーを建造していて、毎月のように進水式がありました。はなしのわかる先生がいて授業そっ
ちのけで、クラス全員で進水式の見学に行ったものです。運がよければ、見学者にふるまわ
れる紅白の餅をもらったりすることもありました。おれも大人になったら、こんな船を造る
造船技師になりたいと夢見ていました。
そうそう、この会社には、三菱技術学校というのがあって、中学を卒業後3年間、給料を
もらいながら技術を学ぶ、という制度がありました。なかなかの狭き門で生徒や親もここに
入ることを大きな目標としていました。
実を言うと,うちの親も、そのコースを望んでいたようで、高校進学の相談会のとき、担任
の先生にそのことを言ったら、大反対されて結果、わたしは普通高校に行くことになったの
です。人生には、将来への分かれ目や転機というものがありますが、これもそのひとつだっ
たのでしょう。技術学校⇒造船技師⇒定年・老後と典型的な終身雇用のレールとはおよそ、
かけ離れた人生行路を行くことになるのです。それは、たとえて言えば、紆余曲折、波乱万
丈、七転び八起き、事実は小説より奇なりというような道でした。そのあたりのことは次の
機会にゆずることにしましょう。ただ、よかったなあ、と思うことのひとつが高校で卓球を
やったことです。おかげで、みなさんとの出会いがあるわけですから、終わりよければすべ
てよしとしておきましょう。
おやおや、とりとめもないことを書いてしまいました。今日、届いた、長崎県人会の会報
に目を通しながら、生まれ故郷の原風景の一コマを思い浮かべて、追憶の世界をさまよって
いるところです。
4月26日 多
前回の続き 「高齢社会」へのつぶやき
いまや、平均寿命は80歳以上ですね。昭和のはじめには40歳だったようで、この80年間で2倍になったのです。では、人間のおつむの程度も2倍良くなったかな?とてもそうは思えませんね。ならば、おつむの程度は、昭和始めの人の半分と考えたほうが妥当です。そうすると、20歳は小学生並みで、30歳でようやく元服式を迎え、40歳が成人式かな。60歳は、男盛り・女盛りということに。実際、いまどきの60歳に還暦の赤いチャンチャンコはしっくりとはこないでしょう。
余談ですけど、健卓兄が還暦を迎えたとき、オフクロがつぶやいた一言が今も耳に残っているんです。~ああ、60年間、心配のしどうしだった~ わたしを見据えてしんみりと。
いやあ、自分では曲がりなりにもひと通りの社会人としての役目はいろいろとやってきたと自負していたのですけど、大正生まれのオフクロさまからみれば、まだまだだということだったのでしょう。
それはさておき、老人の基準も変える必要があります。昔の勤め人は還暦で定年になり、余生で70歳になると「人生70年古希稀なり」と祝賀の宴です。70歳まで生きれば万々歳ということだったのですね。
人生100年のいまの時代、この古希を老人年齢の始めとすればいい。そして、毎年1歳づつ老人年齢を上げていく、すると老人の数は減ります。健康卓球も老人の数が半分以下に減って女盛り、男盛りがいっぱいに。「歳だから足が動かない」、「物覚えがわるくなった」などと言えないことになる。意欲的に体を鍛え、頭を使えば、ますます元気と笑顔になって寿命がぐ~んと延びる。
このように従来の基準を変えるだけで「少子高齢社会は子供が増え老人が減る社会」ということになるのです。
お~い、今が盛りの貴男と貴女、コロナウイルスなんかに負けるなよ。まだまだ、やることいっぱいあるよ~。
~頭を使って知恵を出せ、知恵のないもの汗をだせ~。 世のため、人のため、ちょっとだけ自分のために。
断っておきますが、何も言葉遊びをしているわけではないのですよ。
ここで言いたいことは、
〇従来当たり前に考えられていた価値基準が壊れる社会が「少子高齢社会」である。
〇かたよらないこころ こだわらないこころ とらわれないこころ が必要である。
4月25日 多