コロナウイルスと戦うために日夜、心血を注いでいる人たちがいる。とくに、医療関係者の
ご苦労には、頭の下がる思いがする。一方で、そんなことはどこ吹く風とばかりの行動をする
輩もちらほら。さきごろ、山梨県に帰省していた若い女性が、コロナ陽性と診断されたにもか
かわらず、東京に帰っていたとかで、ずいぶんと誹謗中傷されたことがあった。聞くところに
よれば、ご当地の家族は、それこそ、村八分の状態だとか。
きょうは、村八分についてのつぶやき。
江戸の昔には、村のしきたりや習慣を破った者は、村人たちからこぞって排斥され、近所づ
きあいを拒否された。これがいわゆる村八分。この風習は、現代でもさまざまに生きている。
早い話が、業者が談合して値上げをしようというとき、いや、わたしのところは値上げはしま
せんなどといおうもろなら、その業界から村八分されるのは必至のことらしい。
なぜ、「十分」ではなく「八分」かといえば、そこがいかにも日本的で、残りの二分は、火
事見舞いと葬式なのだそうだ。う~ん、火事と葬式、さすがにこれには知らん顔もできないか
な。それでもこのふたつ、めったにあるものではないから、たとえ八分でも、そんな目にあっ
た者には、骨身にしみるきつい仕置きである。
ちなみに、「八分」とは、冠、婚、建築、病気、水害、旅行、出産、年忌。
5月18日 多