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さて、回を重ねてきたこのコーナー、もとは、「卓球をはじめたきっかけは」との問いかけ
に応えようと書き始めたのです。書いているうちに、むか~しのことが次々と蘇って、ついつ
い余計なことまで披露したようです。卓球をはじめたきっかけについては、そろそろおしまい
ということに。前回のOBとのかかわりについて、かいつまんで書いて最終稿としましょう。
三年生になった美少年は、国立大学の工学部を受験します。(数学が得意科目でした)自分で
も自信満々、まわりもからも大丈夫と言われていました。それなのに、ああ、それなのに不
合格。(英語がさっぱりでした)。私立大学では、学費や生活費もたいへん。そんなに余裕があ
る家ではないのです。落ち込んだり、悩んだりしているとき、声をかけてくれたのが、この
OBです。
~おれの大学に入れ。なあに、お金はバイトをすればなんとかなる。親によくはなしてみろ~
この言葉で、親にうんと言わせてOBと同じ大学に進学することになります。選んだ学部は、
思うところがあって、工学系ではなく、文学部哲学科で社会学を専攻します。
上京しての第一夜、OBの下宿で歓迎会をしてくれました。これがもう、びっくりするやら
どきどきするやらの忘れられない一夜でした。(この話はいずれまた)
次にお世話になったのは4年後の就職のときです。OBが勤める会社の募集要項を詳しく教え
てくれました。とくに、面接の際のコツを教わったのが大いに役にたちました。こうしてOB
と同じ会社に就職することができたのです。
在のOBです。振り返ってみれば、青春のときに卓球部を選び、いい人たちに巡りあった幸せ
者だと思わずにはいられません。
ただ、悲しいことに、このOBは、まだ若い40歳のときに白血病で逝ってしまいました。
被爆者だったのです。ピカドンにやられたことのようです。恩返しもできず、お別れにも立ち
会えなかったことが、美少年にとっては、いつまでも悔いの残ることです。
昔、むか~しの話 6
当時の長崎市の県立高校は、普通高校2校と工業高校、商業高校、水産高校がそれ
ぞれ1校、合わせて5校です。毎年5月には、この5校で対抗戦が開催されます。4月の
終わりから5月のはじめの飛び石連休(今のゴールデンウイーク)は、対抗戦の強化練習
とされ新入生は練習休みです。美少年は、この練習の球拾いを志願します。眼鏡は首を
かしげていましたが、七三は、~よし頼む~と言ってくれました。
休日の練習は、10人ほどで、朝10時から夕方6時まで。球拾いは1人、大忙しです。
ただ、1時間おきに休憩があります。七三がちょっとだけ相手をしてくれます。眼鏡も教
えてくれます。そのうち、ほかの上級生からも声がかかるようになります。練習メンバー
の長髪もその一人です。休憩のたびに、10分ほどですが1日では1時間の個人レッスン
ということになります。それも、いろいろな戦型の人からです。いま思うと、この5日ほど
の期間は、美少年にとって、ゴールデンウイークといえるかもしれません。
休みの期間が終わると、また元の新入生の日々に戻ります。ただ、休憩時間の先輩か
らの手ほどきの声が、ぐ~んと増えました。そして、洗濯係の指名は少なくなりました。
こうして、5月~6月が過ぎ、7月の半ばに忘れられないことがありました。
中央大学のブラスバンドチームが、長崎で演奏パレードを行うことになりました。その
実行委委員長が卓球部OBです。卓球部員総出で手伝いを命じられます。美少年は、
長崎の繁華街を練り歩く吹奏楽団のいちばん前でプラカードを掲げて先導する役です。
楽団と同じ白いタキシードで、楽団が奏でる行進曲に乗って歩きます。すこし、はず
かしい気になりますが、沿道の観衆の拍手をもらうと誇らしい気持ちになり胸を張って
顔を上げて歩きます。そいいえば、おふくろが、写真付きで載った地方新聞を大事にし
ていたのを思い出します。
このOBとの出会いが、美少年の将来に大きくかかわることになります。
続きは次回に。 5月4日 多
昔、むか~しの話 5
新学期3日目の授業は午前中で終わり。長髪と二人できのう案内された卓球部の部室に直行します。
グラウンドの南側にスレート葺きの長屋づくりです。野球部、バレー部、剣道部、柔道部‥と10種類以上
の運動部の拠点です。卓球部はテニス部の隣。~オッスと声かけて中に。すでに7,8人が着替えの最中。
長髪はみんなと顔見知りらしく、心得たといわんばかりの手際で着替えにかかります。中学の卓球部で
活躍していたので、卒業してすぐにここの練習に参加を許された身分なのです。それに倣って美少年が
準備を終えたところで、七三、眼鏡など上級生も揃います。もう部室はいっぱいです。
~新入生、前に~七三の声で、15人ほどが横に並びます。眼鏡が名簿を見ながら点呼です。一人ひ
とりの返事に、七三は頷いています。自分と目が合ったとき、大きく頷いたように感じて嬉しい気持に
なる美少年です。続けて眼鏡が、数人に分けて名前を読み上げます。最初の5人は卓球台の準備・片付
け、次の3人は洗濯、残りは球拾いです。美少年は2番目の洗濯係です。~えっ、洗濯~。そうなんです。
洗濯なんです。練習後全員が、汚れたユニフォーム、ショートパンツ、靴下、シューズをまとめて備え付
けの籠に入れて帰るんです。翌日、それを洗濯して、干場に吊るして乾いたら取り込む。汗臭いシャツ
やパンツに混じってときどきサポーターもあります。サポーターとは、キンツリのことです。ぶらぶら
する同じ年のセガレを固定するのに使います。(おわかりかな?)
洗濯当番は、ランニング、うさぎ跳び、素振りのあとは洗濯に掛かり切りです。練習場に行くのは、
卓球台の片付けの手伝いのときだけです。洗剤で洗ったものを手回しのローラーで絞り、水を入れ替
えながらすすいだものを、また手回しで絞る。当時の洗濯機です。それから、ロープに干して乾かす。
多いときは、20,30人分です。手間と時間がかかります。この日はボールをさわることはありません。
これが、1週間に1回くらい回ってきます。洗濯当番の翌日から、顔を見せなくなる新入部員が多いと
いうのを後で知りました。
翌日は、球拾いの係です。練習台は3台。ボールを打つのは、指名された10名ほどの中級・上級者
だけ。新入生は、台の後ろに並んでこぼれてくるボールを拾って返す。ボールを打つことはありません。
これでも、ひとり、またひとりと辞めていきます。やがて1か月ほど経ったころには、新入りの半分以上
がいなくなりました。そのころになって、球拾いをしていると、上級者の休憩中に、七三や眼鏡から声が
かかるようになります。ひと月経ってやっと、手ほどきを受けることができます。ただし、5,6分ほどで
す。休憩が終われば、球拾いに戻ります。でも、その5,6分が嬉しくて、貴重な時間になりました。
美少年は、卓球の参考書を読み漁りました。長髪からのアドバイスももらいました。
でも、フォアハンドも思い通りには打てないまま、1か月が過ぎ去ったのです。
きょうは、これくらいで‥。
次回に続きます。 5月3日 多
昔、むか~しの話 4
~ラケット買いについていってやれ、アドバイスもな~。と七三に言われた長髪、練習は早引けです。
なだらかな坂の道を下って浦上川の橋を渡ればすぐに停留所です。ここでチンチン電車に乗ります。
行き先は、浜の町。ここは長崎でいちばんの繁華街です。デパートをはじめ商店街、飲食店、スポーツ
店もあります。
歌や物語でお馴染みの、思案橋や眼鏡橋、それに中華街や華の丸山もこの近くに。ガタンガタン、チ
ンチンと20分の道中です。聞けば長髪の家は、この商店街で当時としてはめずらしいフルーツパーラ
を営んでいて、めざすスポーツ店の主とは顔見知りだとか。それに、この長髪、中学でも卓球をやっ
ていて、県大会の常連だったことも知りました。ラケットもシューズもついでにブルーのユミフォーム
も長髪のアドバイスに従います。スポーツ店は、ご近所のよしみで、かなりの割引をしてくれました。
七三が付き添い役に指名した理由がわかりました。
買い物を済ませたところで、長髪のフルーツパーラに誘われます。今でいうトロピカルな装飾の店
の2階の席で、フルーツポンチというものを初めて口にしました。知り合ったばかりの長髪が別世界の
人間に思えたものです。この長髪とは、後に「かず」、「たか」と呼び合う仲になります。
☆ここで登場人物の名前を。
七三⇒上田(キャプテン) 眼鏡⇒山口(副キャプテン) 長髪⇒名前が、かずま 美少年⇒たかおみ
コッキンテクリート⇒桂木先生
思えば、この日巡り合ったのは、いい人ばかり。
いよいよ、明日から卓球部員としての新しい挑戦。胸が高鳴る美少年です。
つづきは次回に。 5月2日 多